台湾一周 (その1)
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序章

去年の夏休みに台湾を旅行した友人から、台湾の魅力や感想を聞いたり、写真を見たりしているうちに、自分も何となく台湾へ行ってみたいと思うようになった。その友人は、今年の夏にも台湾へ行くのだという。興味があるのなら、お前も一緒に来ないか? うん、おれも行きたいな――というような成り行きで、わたしも同行することになったのが事の始まりである。

決定した日程は、2002年8月1日から2002年8月10日までの9泊10日。敢えて盆休みを外したのは、日本と台湾の往復に必要な航空代金を安くあげるためである。それだけで航空代金が半額ぐらいになるから、予算への影響は大きいのだ。

プランのあらましは、台湾島の沿岸にほぼ沿って島をくるりと一周ように張られた鉄路を、台北を起点として時計回りに進み、また台北に戻ってきて台湾を一周するというものである。サツマイモのような形をした台湾島の面積は、日本の九州とほぼ同じぐらいだからさほど広いわけではなく、鉄道で一周してもその距離は900km程度。日本の鉄道網と比べればやや便が悪く、列車のスピードも遅いとはいえ、台湾島を鉄道でただ一周するだけなら、2日もあれば十分に可能なことだ。

そういうと簡単そうに聞こえるかも知れないが、このたび台湾を訪問するのは、台湾の色々な場所を見て回るためであって、ただ一周することを目的としているわけではない。訪れてみたい街や景勝地は、鉄道の沿線のみならず、台湾島の各所に散らばっている。鉄道のある街から外れた場所へもバスなどで足を伸ばすとなれば、移動に必要な時間も無視できない。数々の予定や移動に必要な時間を総和すれば、9泊10日とて決して満足といえる日数ではないのである。そのため、様々な行動予定はやや強引に詰め込むしかなく、事前に作成された日程表は、ただその通りに動けば最後まで行けることを論理的に示された乗り継ぎ時刻表さながらの内容となった。こうして、いわゆる「優雅な一周旅行」などとは懸け離れた「苦行の一周旅行」の骨格ができあがる。

もっとも、すべてのことが計画どおり順風満帆に進むだろうとは初めから思ってもいなかったし、現にそうはならなかった。夏の台湾は雨が多い。台風がぼこぼこと沸いて出てくるのも台湾の付近だ。しかも、わたしが夏休みに旅行をすると天候には絶対に恵まれないというジンクスがあり、台風接近や豪雨が予想されるなかで際どい決行を決めて旅行しているのは毎年のことである。今回も例に漏れず、行動中に降雨がなかった日は数えるほどで、そればかりか集中豪雨でどこかの道路が崩落したというようなニュースまで流れだす始末。事前に作ったプランでは「多納温泉」という山あいの村落へ行ったり、それが無理なら代わりに「廬山温泉」という海抜1,300mの台湾最高地にある温泉地へ行ったりする計画になっていた。しかし、天候不順のため、交通路の安全や足止めを喰らう可能性を考慮してこうした山間部における行動は取りやめるしかなくなり、現地でプランの一部変更を迫られることとなる。

台湾の地図

結果として、今回の旅行は下表および右図のようなものになった。

日付主な経由地宿泊地
8月1日自宅→成田空港→台北台北
8月2日台北→瑞芳→十分瀑布→瑞芳→蘇澳蘇澳
8月3日蘇澳→花蓮→太魯閣渓谷→花蓮花蓮
8月4日花蓮→屏東→高雄→台南台南
8月5日台南→嘉義→阿里山阿里山
8月6日阿里山→嘉義→台中台中
8月7日台中→鹿港→埔里→台中→台北台北
8月8日台北→新北投→淡水→台北台北
8月9日台北市内観光(228紀念館など)台北
8月10日台北→成田空港→自宅

日程の最後の方で、台北のあたりで不自然なほどの日数を消費しているのも計画の一部取りやめによって時間が余ってしまい、あとから場当たり的に予定を付け加えたためである。それはそれでよかったのだが、結果論を承知でいえば、日数の配分が悪くなってしまったことは否めない。いま思えば、台北近郊の無難な観光地を回るよりも、もうちょっと時間を費やして見ておきたかったところで二泊すればよかったといった後悔もあるにはあるが、天候による取りやめは前日か当日の朝に天気予報や空模様を見て決断するしかなかったため、やむを得なかった。


台湾へ飛ぶ (2002年8月1日)

成田空港で軽い食事をしてから、飛行機の搭乗時刻を待つ。便は、成田空港を 18:50に飛び立つノースウェスト航空の NW21便である。NW21が、台湾の中正国際機場に到着するのは 21:20だ。かなり遅い時刻になってしまうため、本当ならもう少し早い時刻に発着する便に乗りたかったのだが、生憎と早い便は満席でチケットを確保することができなかったから仕方がない。

台湾行きの便なら乗客もそれなりに多いだろうと思っていたのだが、意外なことにそうでもなかった。搭乗ゲートからは、やや離れたところにある駐機場までランプバスで延々と連れて行かれ、さらにタラップカーを使って比較的小型のエアバスA320に乗り込むという頼りなさであった(新暫定滑走路使用のため?)。この日の首都圏は、各地で軒並み35度を超えるような猛暑。夕方になって日は陰り始めているとはいえ、ほどよく冷房の効いたランプバスから、加熱されきって熱気が濛々と沸き上がるコンクリートの路面に降りた瞬間には、その温度差のあまりクラっとくるぐらいだ。

離陸後しばらくしてから窓の外に見えはじめた真っ赤な夕焼けが美しい。そしてそのそばに浮かんでいる真っ黒な雲の中では、多数の稲妻が飛び交っている。青白いアークが飛んだかと思うと、雲全体がびかっと光るさまは、どことなく幻想的だ。そういえば、いまごろ同行者はもう台北に着いているはずだ。が、本当に着いているのだろうか――若干の不安が過ぎる。関西在住の同行者は関西国際空港発の便を利用するので、台北市内の待ち合わせ場所までは別行動なのだ。なにせ、海外での待ち合わせ。携帯電話で状況を連絡するといったこともできないから、些細な事故でも困ったことになりかねない。

窓の外の風景を見ながら、そんなことをぼやっと考えているうちにやってきたのが、待望の食事のお時間。ま、死んでさえいなければ、待ち合わせぐらい何とかなるだろう。それよりもメシだメシ。「シーフード」を選んだら、中華風に仕立てたらしい海鮮焼きそばのようなものが出てきた。飛行機の食事は不味くてダメという人もいるようだが、わたしにとってはまったく問題ない。お世辞にも美味いとはいえないが、朝からまともな食事をしていなかったから、これがこの日のもっとも豪勢な食事だったのだ。

機内食
うあ~い。デザートの安っぽいケーキがたまらん。

飛行機が中正国際機場の上空にさしかかったときには、日はもう完全にくれていた。上空から見えた夜景は、日本のそれとは少し違った。何が違うのかと考えてみたら、白っぽい色の光が多い日本の夜景と比べ、台湾の夜景には橙色の光が多いのだ。降りてから分かったのだが、確かに台湾の道路では街灯に橙色のランプが多く使われており、それがこの独特な感じの夜景を作っているのだろう。

台湾に降り立つ (2002年8月1日)

中正国際機場に到着したあとの入国審査や検疫、税関では何の苦労もなく、ほとんどスルーパスであった。その後、両替を済ませて現地通貨を得る。ちょっと驚いたのが、入国カードの扱いだ。台湾を一周する予定であったうえ、宿泊先も現地で決定することになっていたため、入国カードに記入するにあたり、「来台住址」(現地滞在先)の欄に何と書いてよいのか分からなかった。しょうがないので取り敢えず空欄で出してみたところ、なにも質問されなかったのでそれでよかったのかと思いきや、あとから控えをよく見たら、入国審査官によって勝手に「Santos」と書き込まれているではないか。ちなみに、Santos というのは台北市内に実在する比較的高級なホテルの名称だが、ここには泊まっていない。

入国カード
証拠写真。日本人には甘いと聞いていたが、ここまでアバウトだったとは……

中正国際機場は、日本の成田空港と同じように、台北の市街地からは離れたところにあり、台北市内まではバスで40~50分かかるのだ。今回は、台北車站(台北駅)に着くバスに乗らなければいけないのだが、同じ台北行きのバスでも市内の違う場所に着くものもあるらしく、どれが正しいバスなのか良く分からなかった。切符売り場を何件か聞いて回り、辿り着いたのが、國光號の切符売り場だ。運賃の110元(400円ほどと安い)を払って切符を買い、示されたバスに乗りこむ。車種は古いが、乗り心地は悪くない。しばらく待っているとバスは発車し、片側4車線もある広い高速道路に入った。や~、恐い恐い。台湾の運転は荒いとは聞いていたが、本当に荒い。そもそも車線がよく守られているとも言えない状態だが、車線変更というものがあるとすれば非常に強引だし、ウインカーの使い方も事後報告のようだったりしていい加減だ。乗っているバスもかなり飛ばしており、前に遅い車がいると際どいまでに車間をつめて煽りまくるという、日本の空港リムジンバスでは考えられないような運転を見せてくれる。

中正国際機場から乗ったバスは、市内のいくつかの停留所で止まったあと、終着の台北車站近くに着いた。近くとはいっても、台北車站からは250メートルほど西へ外れた重慶北路一段という通り沿いの場所で、台北市内とは思えないほどに薄暗くて何もない。幸い、台北車站は見えているし、先に到着しているはずの同行者と落ち合うことになっている新光三越のビルも見えているので不安はない。だが、台北車站の前にあるバスターミナルに入る思っていたから、こんなところでバスを下ろされたのはちょっと意外であった。

まったく、変なところで下ろしやがって――という人間をターゲットにしているのか、バス停の周辺にはタクシーの客引きがやたらといるが、新光三越までタクシーに乗るほどの距離があるわけでもないので、客引きは無視して歩くことにする。新光三越は、台北市内随一の摩天楼。近辺に来れば、だいたいどこからでもビルの天辺ぐらいは見えるから、万が一道に迷っても分からなくなってもこのビルを目指せば何とかなるはずだ、ということで、ここを落ち合う場所に選んだのだ。

新光三越 (遠くから)
新光三越のビル。台北のランドマーク的な存在だ。
新光三越 (近くから)
後日撮影した新光三越のビル別カット。ロゴも日本の三越と同じである。

新光三越を目標に少し歩くと地下街の入口があり、これを通れば新光三越まで行けそうな気がした。階段を下りて、案内図を見ると、確かに新光三越まで続いている。時刻は、22時40分。すでに店のシャッターは閉じられ、人通りも少なくなってがらんとした地下街をせっせと歩いて新光三越の前に出る出口へと向かう。地上に上がると、すぐに先に来て待っていた同行者と会えた。薄暗く、まともに顔を確認できたとも思えない。たぶん、特殊なオーラのようなもので互いの存在が分かったのだろう。

台北地下街
閉店後の台北地下街。雰囲気は日本の地下街とあまり変わらない。

少し腹が減っていたので、何か食べるためにそのまま街に繰り出した。台北の街並みを初めて見た印象を率直にいえば、外国に来た感じがあまりしない、という一言に尽きる。同行者に引率され、連れて行かれた西門の繁華街は、横浜の伊勢佐木モールに似たような感じのところであった。そして、その街角には日本で見かけるファミリーマートやセブンイレブンなどのコンビニや、マクドナルドやケンタッキー、吉野家といったファーストフード店が並んでおり、日本にあってもよさそうな感じのする場所も少なくない。台北を日本の都市に喩えるなら、大阪に近い感じがする。メインストリートの道幅はやたらと広く、並木のある中華路一段はさながら御堂筋のようで雰囲気も良い。なのに、少し裏通りに入ると雑然とした佇まい――この混沌としたところが、どこか大阪的なのだ。逆に、台北の人が大阪に来ると、似ていると感じるのだとか。

台湾に来て初めて口にしたのは、モツとそうめんを煮込んだような、「阿宗麺線」というもの。わりと有名らしく、同行者に連れられて行った西門町のお店はよく繁盛していた(店といっても、半分屋台のような感じだったが)。汁はちょっと甘ったるい感じ鰹だしのようで、初めの一口は妙な感じだったが、美味しいものであった。ただ、うえに乗っけられた香菜のどぎつい風味を除けば、だが。

阿宗麺線
阿宗麺線の小サイズ、35元なり。上の葉っぱが意見の分かれる香菜だ。
阿宗麺線の店
阿宗麺線の店。中に客がいないのは、みんな路上で立ち食いしているから。
台湾の安宿事情

この日、台北で泊まったのは、同行者が先にとってくれていた「佳多利賓館」という安宿に分類されるホテルである。安宿といっても、建物や部屋は古いながらも清掃は行き届いており、設備も悪くはない。ツインの部屋は、値切って一泊 1,000元(3,700円ほど)で、一人あたりの負担は 500元。台湾のホテルはルームチャージが基本なので、一つの部屋を多人数で利用すれば一人頭の宿泊費は割安になるのである。宿泊料は、日本の同クラスのホテルと比べて一般に3分の2程度の値段が相場のようだ。高級なところでも通用するのかどうかは知らないが、料金を聞いてから「部屋を見せてくれ」と言い、案内された部屋で不満そうな顔を作って値切ると、割と簡単にまけてくれることがある。実際、これで何百元かの節約にはなっている。

あとから知ったことだが、台湾のホテルでは、ダブルベッドを2名で使うのが一般的だという(安宿だけかも知れないが)。だから、宿に入って「2人で泊まりたい」と言うと、ツインルームを特に指定しない限りは、まずダブルベッドが一つだけ置いてある部屋に案内されてしまうことが多かった。ツインルームでも、ダブルベッドが2つ置いてある場合が多く、本当は4名で使うことを想定しているようだ。

なにが嬉しくて、むさいオヤジが同じベッドで寝なあかんねん? という当然の疑問から、今回はツインばかり使ったけれど。

2002/08/11 作成
2002/08/21 加筆修正/一部削除/写真高画質化/原寸写真追加
制作 - 突撃実験室